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米、イランの国交断絶とは◆「人質事件」で国交断絶 一九七九年に親米王政を打倒したイラン革命、在テヘラン米国大使館占拠事件が起き、翌年、両国は国交を断絶した。五十二人の人質は八一年一月、四百四十四日ぶりに解放された。最高指導者の故ホメイニ師率いる革命勢力は米国を「大悪魔」と呼んだが、九七年就任の改革派のハタミ大統領は九八年、米CNNテレビと会見、大使館占拠事件について「遺憾の意」を表明した。 米国は〈1〉大量破壊兵器開発〈2〉テロ支援〈3〉人権弾圧などを理由にイランを非難。九六年に「イラン・リビア制裁法」を制定し、外国企業によるイランの大規模エネルギー開発への投資を制限した。ブッシュ米大統領は二〇〇二年一月の一般教書演説でイランを旧フセイン政権下のイラク、北朝鮮とともに「悪の枢軸」と呼び関係はさらに悪化。米国はイラン核疑惑追及の先頭に立った。しかし、両国はアフガニスタン情勢など個別の問題については、必要に応じ非公式折衝を行っている。
2004年1月1日(Thu)
全国 朝刊
11頁(外A) 01段 407文字
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